■信徒を育て、訓練することによって、“信徒が未信者を救いに導いて養育することができるようにする働きのこと”を言います。

 「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子と  しな  さい。そして、父・子・聖霊の御名によってバプテスマを授 け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを 教えなさい  。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたが たとともにいます。」 マタイの福音書28章19、20節 

 


これを弟子訓練命令として受け取ります。なぜなら「弟子とせよ」が、この御言葉の主動詞だからです。この主動詞に3つの分詞がかかります。「行って」(Going)「バプテスマを授け」(Baptizing)「教えなさい」(Teaching)です。ですから、弟子造りのためには1)人と関係作りができるように訓練する2)人を救いに導いてバプテスマへと導けるように訓練する3)イエス様の教えを具体的に生活の中で実行できるように訓練するいう方向性があります。



マタイの福音書7章15−27節には、偽預言者たちに気を付けるようにとのイエス様の警告があります。この警告の主要点は、「どんな実を結ぶか」でありそのために行ないが強調されています。

「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです」(21節)と強調されます。また、24−27節は有名なたとえです。これは御言葉を聞いて行なう者と、御言葉を聞いても行わない者のたとえです。 ですから、弟子訓練は御言葉を聞いて行なうことをクリスチャンとしての基本生活であると捉えます。
日々ディボーションに取り組めるように助け、教えられたことを具体的に実行することができるように助けるのです。 また、御言葉が何を語っているのかをできるだけ知ることができるように聖書勉強に力を入れます。聖書そのものをじっくり観察し、黙想できるように帰納的聖書勉強を取り入れ、信徒たちが御言葉の意味を理解すると同時に生活の中での適用をすることに力を注ぎます。弟子訓練では、御言葉をしっかり聞き、それを実行することに最大の力を注ぐのです。

 

エペソ人への手紙4章11−16節には、牧会者の役割が啓示されています。それは「聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり」(12節)ということです。

牧師は奉仕をさせながら聖徒たちを整えるのではなく、聖徒たちを整えてから奉仕の働きをさせる必要があります。 また「聖徒たち」を整えるとは教会を建て上げることであり、ひとりの有能な信徒を育てることとも違います。教会全体を「信仰の一致」「神の御子に関する知識の一致」「キリストの身たけにまで達する」ように整えることが求められています。 そしてからだ全体は、「愛のうちに建てられ」「愛を持って真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができる」ように求められています。これは牧師の存在の意味そのものであり、教会形成論、牧会論の本質です。 この牧会のあり方を追求するのが弟子訓練です。教会では絶えず御言葉を学び、キリストについて学び、キリストとともに歩み、キリストに似るようになってくる訓練が必要です。



弟子訓練において、弟子とはどんな人なのかという「弟子像」が明確にされることが大切です。

大きく3つの弟子像を取り上げます。 第一は、御言葉を伝えることができる人です。イエス様は12弟子を選び、良く御言葉を教えました。群集にはたとえで教えても、弟子たちにはその意味を教えました(マルコ4:33,34)。そして2人づつ遣わして伝道の訓練をしたのです(マルコ6:7)。やがて彼らが福音の担い手として活躍する様子が使徒の働きに記されています。 第二に、主の愛で愛する人です。イエス様は弟子たちに「あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。もし、あなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」(ヨハネ13:34,35)と語られました。愛する弟子像は、エペソ書の指針とも合致し、「互いに」というところに教会論も示されています。


 第三に、仕える人です。マルコの福音書10章45節でイエス様は、「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」と語られました。また、弟子たちの足を洗ったイエス様は、「それで主であり師であるわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。」(ヨハネ13:14,15)と語られています。これらは仕える態度と行為においてイエス様がモデルになっていることを示しています。 私は、「御言葉の理解」と「愛すること」「仕えること」を弟子訓練の三位一体と呼んでいます。



弟子訓練はできるだけイエス様のモデルに従うことです。弟子訓練にはいくつかの原理があります。

 第一に選択の原理です。イエス様は徹夜で祈り、12弟子を選びました(ルカ6:12,13)。ですから牧師は誰を訓練するかを良く祈りながら少人数を選択する必要があります。 第二に、集中の原理です。確かにイエス様は、群集にも福音を伝え、ある特定の人を訪問して福音を伝えましたが、より詳細に深く御言葉を教えたのは弟子たちに対してでした(マタイ5−7章)。イエス様は弟子たちと寝食をともにして多くの時間を彼らに集中しました。同じように弟子訓練牧師は、主日礼拝メッセージや欠かすことのできない働きを除いては、できるだけ弟子訓練に集中するように牧会の働きを整理します。 第三に、公開の原理です。イエス様は弟子たちに対していつも自分をオープンにしました。何を祈っていたか、誰にどのような働きかけをしたか、寝ているところ、食べているところ、人と話しているところを弟子たちにすべて見せたのです。弟子訓練牧師はこれに習い、できるだけ隠し事をなくし、彼らとともに過ごす時間を多くとり、私生活もオープンにして、訓練生と付き合うようにします。

 

 

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