■ラブリは子ども弟子訓練の可能性をマタイ28:19、20に見出しています。「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父・子・聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、私があなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。」と命じられていますが、この「あらゆる国の人々」の「々」を良く見ると、「ママ」から離れられない半人前の「人」がそこにいることが分かります。それは子どもです。子どもも人々の中に入るのは当然のことです。すなわち、イエス様は子どもも弟子にするようにと命じられたのです。

 


□ここから、教会学校とは何をするところであるかが明確になります。子どもを弟子化するのです。すなわち、失われている子どもたちと関係を持ち、彼らを救いに導き、イエス様の言葉を教えて生活の中で守らせていく働きです。

□そこで、従来のCS全体の運営あるいは、体制について考えてみなければなりません。この弟子訓練命令は、<1>行って<2>バプテスマを授け<3>すべてのことを守るように教えなさいという3つの分詞と、弟子とせよという主動詞からなっている文章です。すなわち、この命令を遂行するためには、子どもに対しても大人に対しても、<1>出て行くという働き、<2>伝道するという働き、<3>養育し訓練するという働きという領域があるのだということです。 しかし、多くの日本の教会学校の現状を見ますと、全体礼拝があって、後に15−30分の分級というかたちで運営されているのです。「関係づくりの働き」「伝道の働き」「養育の働き」が明確ではありません。子どもも弟子化せよという命令に忠実であるということは、このような行程に対しても明確にするというということです。

□<1>の関係作りがおろそかにされていくと、未信者の家庭からの子どもたちがいなくなってきます。<2>の伝道がおろそかにされると、明確な信仰を持つ子どもが少ないのです。<3>の養育がおろそかにされると、中学校や高校に入ると教会に来なくなりますし、教会で働く人材を育てることが困難です。このようなことが現状の教会学校に生じているのです。働きの焦点が曖昧にされたままでは、イエス様のご命令を遂行することは出来ないのです。私はこのように現在の教会学校の体制にまったく教会学校形成としての哲学を感じることが出来ません。もう一度、マタイ28:19、20に戻って教会学校を改革しなければならないと思っています。

□それでは実際にラブリでは、このような教会学校哲学がどのように具体化されているのでしょうか。(⇒子どもミニストリ−のページ:J-VICの活動内容へ)



 

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