Sendai L'abri Bible Church
 J-VIC礼拝

 
時間:毎週日曜日9:30~10:20a.m.
場所:仙台ラブリ教会会堂

 
  • J-VIC礼拝は信仰を持っている子どもたちを対象に行っています。子どもたちに神様を礼拝することの喜びを教え、賛美やメッセージも信仰の成長を助ける内容に焦点をあてています。まだ、神様について知らない子どもや信じていない子どもたち向けのプログラムは毎週土曜日にあるので(♪エリア・サークル活動のページ参照)、J-VIC礼拝に神様のことがまだ良くわからない子どもや信仰を持っていない子どもたちは誘いません。

  • なぜそのようにするのか?と良く聞かれますが、と信仰を持った子どもと持っていない子どもの両方を対象にしようとすると、結局のところ、どちらの信仰も引き上げることができません。信仰者に焦点を当てると末信者の子どもは何を言われているか理解できず、末信者に焦点を当てると、信仰をもっている子どもたちの信仰をいつまでたっても育てることができないからです。末信者の子どもたちは土曜日のエリアやサークル活動に誘い、そこで関係作りをし、入門コースに導き、救われたらJ-VIC礼拝に参加するよう促します。

  • J-VIC礼拝には赤ちゃんから未就学児、小学生、中高生、そしてスタッフ達が参加。最近は、子ども達の親も参加し、子どものようになって礼拝をささげています。毎週60~70名で礼拝を捧げています。


《J-VIC礼拝の流れについて》

  • J -VIC礼拝の内容は基本的に賛美とメッセージ。まずは2、3曲元気に神様をほめたたえる賛美を捧げます。ピアノ、シンセ、ドラム、ベースを使って奏楽 し、振りつけつきの賛美やオリジナルの賛美(賛美♪参照)を持って神様をたたえます。

    子どもたちは元気いっぱい体を使って賛美します!また、子どもやスタッフがディボーションからの分かち合いを捧げる時もあります。その後メッセージがあり、最後に賛美を捧げるという流れです。メッセージは毎週20分。通常、他の教会で行なわれている分級がないのは、週日に子どもたちが集まって聖書を勉強する時間(アパルーム)があり、信仰を持った子どもたちは毎週自分のアパルームに参加し、御言葉によって養育されているからです。
 
 


《J-VIC礼拝メッセージについて》

  • メッセージは毎月1つの御言葉を選び、その御言葉から4回メッセージをしています。メッセージのほとんどはJ-VIC主事が担当。子どもたちにいのちを与えていくメッセージができるようになるには、訓練が必要…。現在、次にメッセージができる人材を育てているところです。

  • 1週目は御言葉の全体的な意味を把握し、2週目は御言葉の意味を理解させるような内容。3週目は理解した御言葉を実際に生活に適応し、実践していくように促し、4週目に実践したことを子ども達とスタッフが分かち合います。つまり、ただ一方的に御言葉を聞かせるだけではなく、聞いた御言葉を行なっていくよう助けるという方向性でメッセージが組み立てられています。
    ですから、4週目は実践したことを子どもたちとスタッフが報告し分かち合う時間を設け、御言葉を行なう喜びを共有します。子どもたちは実践のプロです。クリスチャンの親から「うちの子が家で○○をしてくれたんです」という報告も届きます。メッセージは視聴覚(OHP、白板、イラスト、スキット、演技?)をふんだんに用い、子どもたちが集中して、また楽しく御言葉の中身を受け取れるように工夫しています。
    そして、実際子どもたちは集中し、メッセージの中身も良く覚えています(メッセージの動画が動画配信で見ることができます)


《J-VIC礼拝リハーサルについて》

  • J -VIC礼拝のリハーサルを毎週土曜日午後4:00から行なっています。プログラムは事前に司会者と主事で決め、奉仕者に伝えてあるので、各々が準備した状態でリハーサルに臨みます。リハーサルでは、礼拝のための祈り、司会者が始めに何を語るか、また曲のつながり、どのように奏楽するかなど全体の流れを奉仕者で確認しながら練習します。司会は訓練を受け整えられた人に担当してもらいます。
    子どもたちの 霊性を引き上げ、神様のもとに導き、またその時の雰囲気や状況を見て臨機応変に対応できる人でなければならないからです。

    また、子どもたちのその日の状態を察知して、自由に話しかけたり、時にはプログラムも変更できる人でなければならないのです。ソングリードは小学生2人、ピアノ、シンセ、ドラム、ベース、OHPのいずれも中高生も含め10代の若者が担当。リハーサルはスタッフたちの養育の場でもあるので、司会の導き方、子供たちに分かりやすいことばで 話すこと、確信を持って導くこと、ソングリーダーの子どもたちや奏楽者も本当の賛美にな るように動機付けを与え、生きた礼拝を捧げるように助けていきます。
 
 


《子ども達は2つの礼拝に参加》

  • ほとんどの子どもたちは、J-VIC礼拝で礼拝をささげた後、11時からの礼拝にも参加します。つまり、子どもは一日2回礼拝しているのです(大人より多い!)。J -VIC礼拝後、礼拝の椅子を子どもたちとスタッフが並べます。そして、子どもたちは大人の礼拝でも元気に賛美を捧げます。その歌声が礼拝を引き上げ喜びを与えている!という感じです。中高生やスタッフが子どもと一緒に座ってあげ、メッセージが難しいお友達のためには、礼拝中に読む本を一緒に選んであげます。 しかし、小学生になると殆どの子どもたちは牧師のメッセージをノートにとっています。見せてもらうとよ~くまとめていますよ。
 

  J-VIC礼拝の年間の方向性



  • ここで、私達の教会学校がどのように日曜日の礼拝メッセージの方向を定め、組み立て、行っているかを紹介します。このスタイルは長年やってみて非常に良いスタイルだと感じていますので、ぜひ、諸教会の方々も参考にしてみてください。

  • 上にも書いたように、J-VICでは1カ月に1つの御言葉から4回のメッセージを行っています。年間12個の御言葉を学ぶのですが、まず、新年度が始まる前に、今年はどのような方向性を持って教会学校を進めていくべきかを神様に聞きます。また、今教会に来ている子供たちの現状や霊的状態がどのようであるかを踏まえ、この1年を通し、どこへ導こうとするのかゴールを定めます。そして、その方向性に沿った12の御言葉を選ぶようにしているのです。年間計画は、その年1年限りのものではなく、昨年までの方向性に積み重ねられて行くものです。
 
 


2002年度】=テーマ「救われたってスゴイ!」

子ども入門コースを通して救われたばかりの子ども達が礼拝に増えたことに加え、クリスチャンホームの子ども達にも、もう一度福音の中身と救われたことの素晴らしさを確認する必要がある。そこで、「永遠のいのち」「新しくされたということ(新生)」「罪の赦し」「十字架」「聖化」…といった福音の中身を確認し、救われた事を皆で感謝し喜ぶ1年にする。(内容的には『子ども基礎コース』の内容です)

4月

永遠のいのち

ローマ6:23

10月

助け主

ヨハネ14:16

5月

新しくされた

Ⅱコリント5:17

11月

安心

ピリピ4:6.7

6月

罪が赦された

コロサイ1:14

12月

悔い改め

ルカ5:32

7月

自由にされた

ヨハネ8:32

 1月

聖化

Ⅱコリント3:18

8月

義と認められた

ローマ10:4

 2月

栄化

ピリピ3:21

9月

神の子供とされた特権

ヨハネ1:12

 3月

天国

黙示録21:4


 


2003年度】=テーマ「諸問題にも御言葉」

前年の御言葉をベースにしつつ、子ども達が生活の中で実際に直面する諸問題(存在価値、生きる目的、友達、お金、外見、、両親との関係など)に対して御言葉が何と言っているかをつかみ、聖書的な物の見方を身につけさせ生活の中で対応できるように育てる。実際の生活と御言葉は無関係ではないことを示し、生活の中に御言葉が入り込み、御言葉によって生活が変化するように助ける。

4月

存在価値

申命記7:6

10月

両親との関係

エペソ6:1

5月

生きる目的

イザヤ43:7

11月

悲しみ

ヘブル12:11

6月

誘惑

マタイ26:41

12月

本当の幸せ

使徒20:35

7月

お金

ヘブル13:5

 1月

優先順位

マルコ12:30

8月

外見

Ⅰペテロ3:3,4

 2月

あかしする生活

Ⅱコリント4:5

9月

友だち

箴言17:17

 3月

善行

ローマ12:21


 


【2004年度】=テーマ「神の本質と属性」

神様がどんな方が何ができるかが分かっていても、人格的な存在として受け止めていない子ども達が多いので、神様の本質と属性について確認する1年とする。そして礼拝を捧げる時も、普段の生活においても、神様との人格的な交わりを大切にする感覚を養う。また、私達はイエス様と似せて造られた者。イエス様を模範として、その行動をまねる1年とする。

4月

唯一の神

Ⅰコリント8:4

10月

レビ11:45

5月

生きておられる神

マタイ16:16

11月

ローマ1:17

6月

全能の神

エレミヤ32:17

12月

Ⅰヨハネ4:16

7月

全知の神

詩篇139:1,2

 1月

謙遜

マルコ1:35

8月

不変の神

マラキ3:6

 2月

真実

民数記23:19

9月

偏在の神

使徒17:27,28

 3月

Ⅲヨハネ11


 


【2005年】=テーマ「神の国の幸い観:山上の説教」

今年度はマタイ5章の山上の説教「幸いな人」シリーズを学ぶ。歪んだ価値観の中で生活し影響を受けている子ども達に、この世の幸福感と神の国の幸福感の違いを明確にし、本当の幸せとは何であるかという聖書的な価値観を心に刻みたい。そして、世と違う歩みをすることを誇りにし、聖書が語る幸福感に生きる喜びを経験できるように助ける。この「幸いな人」の教えは弟子としての成熟段階を示していますが、子どもたちとスタッフが毎月のメッセージを通して弟子として整えられ、イエス様と同じように人々の救いの為に苦しむことを喜びとし、この世の光、地の塩として世に影響を与えていく生き方を目指す。1年間かけてマタイ5章3節~16節までを皆で暗唱する。

4月

心の貧しい者は幸い

マタイ5:3

10月

平和を作る者は幸い

5:9

5月

悲しむ者は幸い

   5:4

11月

義の為に迫害される者は幸い

5:10

6月

柔和な者は幸い

   5:5

12月

主の為に迫害される者は幸い

5:11,12

7月

義に飢え渇く者は幸い

   5:6

 1月

地の塩としての歩み

5:13

8月

憐み深い人は幸い

   5:7

 2月

世の光としての歩み①

5:14.15

9月

心のきよい者は幸い

   5:8

 3月

世の光としての歩み②

5:16


 


【2006年度】=テーマは「愛するということ」

神様は人間を愛し合う関係として創造し、愛し合う時に喜びを感じるように創造しましたが、罪の結果、愛するという意識が子ども達の中からも大人の中からも消え、愛を要求しあう関係になっている。また、愛するということがどういうことかが見えず、具体的な行動をとることが出来ないでいる。前年は山上の説教から、神の国の幸い観と弟子としての成熟段階を確認してきたが、その成熟度を別の言葉で言えば、いかに愛する生き方を選択できるかである。ということで、愛することについての中身(愛することのほんの一部ですが)を確認しつつ愛することを実践し、愛されることよりも愛する方が幸せであること、愛する時に神様を知ることができ、更に愛されていることが分かってくること、そして神様が与えた愛し合う関係の喜びを皆で味わうことを目指す。


4月

先に行動する愛

Ⅰヨハネ4:10

10月

模範を見せる愛

ヨハネ13:4.5

5月

苦しみの中に入る愛

ヨハネ1:14

11月

赦す愛

マタイ18:27

6月

近づく愛

詩篇18:9

12月

大切な物を差し出す愛

ヨハネ15:13

7月

自分を変える愛

ピリピ2:6.7

 1月

覆う愛

Ⅰペテロ4:8

8月

意外性のある愛

マルコ1:41

 2月

全てを信じ期待する愛

Ⅰコリント13:7

9月

仕える愛

マルコ10:45

 3月

終わらない愛

Ⅰコリント13:8

 ⇒ここ5年間の流れを見ても分かるように、新年度の方向性は前年までの流れを無視していない。

 



更に、2006年度の詳細を記すと以下のようになる。


テーマ・箇所

目標

先に行動する愛
(Ⅰヨハネ4:10)

人間が神様を愛したのではなく、神様が先に人間を愛された。愛とは率先性に現われる。常に相手が先に行動することを要求してしまう傾向があるが、神様に倣い自分が先に行動を取ることを実践してみる。先に行動しようとする時に勇気が必要になる。だからこそ愛が問われる。

苦しみの中に入る愛
(ヨハネ1:14)

神様である方が人となって人間の間に住まわれた。制限のない、永遠の神が、時間的にも肉体的にも制限のある世界に入られ、罪人達の中に住まわれたことがいかに苦しいことであり不自由なことであったかを知る。人間を救うためにあえて苦しむ必要のない方が苦しみを選択されいく愛について学ぶ。そのようにして救われ、今も私たちの汚い心に住み続けてくださっている事実に驚きと感謝を持ち、自分達も苦しみの中に入っていこうと心動かされ、具体的な行動をとることを目指す。

近づく愛
(詩篇18:9)

主は自分から罪人の世界に近づいてこられた。本来は人間が神様に近づくべきであるのに、神様を無視している者にさえ神様の側から近寄って来てくださった。愛してくれるものを愛することは未信者でもできる。愛することとは、愛しにくい者に具体的に関わっていくことであると認識する。具体的にその人に歩み寄り、自分から接点を持っていく愛について学ぶ。受身の体質が方向転換され、自分から人に対して近づきアプローチしていく事を実践。

自分を変えられる愛
(ピリピ2:6,7)

主は人間を救うために神のあり方を捨てることが出来ると考え、人間の姿を身にまとって下さった。相手を生かすためなら自分の考えやこだわりやスタイルをいつでも変えられる柔軟性をイエス様の姿から学ぶ。イエス様でさえ、ご自分の特権を主張しなかったのに、罪人の人間が自分を保ち、自分を崩そうとしないでいることが高慢であることにも気づかせる。自分の為に変化するのではなく、人を生かし愛する心が自分を変化へと導いていく力であることを確認し、自分が崩せない部分を愛するがゆえに崩していくことに祈りを持って取り組む。変化を互いに見る。

意外性のある愛
(マルコ1:41)

意外性は人々にいのちを与える。何事も普通にこなしてしまう傾向をイエス様のすがたに倣って打ち破ることに取り組む。意外性のある行動によって人々の心に触れていくことを目指す。あちらこちらで意外性のある行動が見えるようになる。

仕える愛
(マルコ10:45)

あがめられるべき方が仕える為に自分は存在しているという自覚と行動を持って33年間を過ごされた姿を追う。神である主が遜って仕えられた姿と自分たちの姿を比較し、自分達こそ仕えるべき人間である事に気づかせる。仕えることが当然であるという視点を持ち、生活の中において仕える事を探して実践する。

10

模範を見せる愛
(ヨハネ13:4,5)

主は愛し合うことの模範を弟子達に見せようとして弟子達の洗足を行った。模範になろうという意識で行動することを教える。兄弟に対して、URメンバーや教会の仲間に対して、自分が人々に影響を与えていくという視点を持たせる。主は愛する模範ではなく愛し合う模範を見せた。故に、愛し合う関係の模範を促す。

11

赦す愛
(マタイ18:27)

罪人である人間がどれだけ大きな赦しを頂いているかを知る。赦されることは当然ではなく信じられない事実であり、それが自分に起こった出来事であることをリアル感を持って受け取らせたい。多く赦された自分が人を赦さないということがいかに罪深いかにも気づき、赦されている恵み故に、人々も赦すことが出来、怒りや妬みから解放されることを目指す。

12

大切なものを差し出す愛
(ヨハネ15:13)

主は最も大切な命を人間に実際に差し出した。それだけ人間を愛していたからである。愛は犠牲を惜しまないことであり、自分にとって大切なものさえ手放せるよう導くものである。しかし、そこには神様と主の気持ちや葛藤があることも受け取らせる。単純にいのちを捧げたのではない。葛藤や痛みを伴いつつも、それを超えさせる愛の力を知る。主が私達を愛したように、私達も大切なものを差し出して主を愛する事を考え実践し主を喜ばせる。

覆う愛
(Ⅰペテロ4:8)

愛は多くの罪を覆います。人が犯した失敗や罪を取り上げ、非難したり馬鹿にしたり、責めたりするのではなく、その罪を覆う為に自分がどうような態度や行動を取ることが出来るかを考える。私達は自分のした悪さえ認めず責任転嫁する傾向があるが、主は人の犯した悪を自分がカバーしようとする。主の覆う愛によって今自分達が存在できていることに目が開かれ、覆う愛について追求し実践する。

全てを信じ期待する愛
(Ⅰコリント13:7)

信じることや期待することは愛であることを受け取る。相手の変わらない態度を見ても、神様は必ず変えてくださると信仰を働かせる愛を身に着ける。また、もう無理だと結論付けてしまわず神様の自分達に向けられている期待感に目を留めつつ、無理だと思う時にこそ期待するから愛なのだという視点を持つ。具体的に祈りつづけ、相手を信仰を注いでいくまでになりたい。

終わらない愛
(Ⅰコリント13:8)

愛とは途中でやめないことあり変わらないことである。愛とは一時的なものではなく継続的なものであり、相手の状況によって決して終わるものではない。子ども達もスタッフも身近な者たちをやめないで愛し続けることを決心させていく。そして神様の愛が変わらないことを皆で称え、神様を生涯愛し続けていくことも決心し、その意思を表明する。



もし、毎週異なった御言葉を語ると年間54個の御言葉を聞くことになるのですが、物語は覚えていても、その御言葉の中身や意味をつかみきれない場合が多いのです。

御言葉を聞くといういうことは御言葉によって生活が変わることを意味します。

年間12個の御言葉…と聞くと少ないように感じるかもしれませんが、5年で60個、10年で120個の御言葉の意味を知り、御言葉が生活と結びついていくということを考えれば、年間12個の御言葉で十分です。それに加え、日々のディボーション、アパルームにおける聖書勉強が平行して行われていることを考えればなお十分なのです。