本田    by f1yokota

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本田宗一郎。町工場的バイク屋を世界のHONDA(本田技研工業株式会社)へと発展させた偉大な技術者である。その情熱と技術は、世界最高峰F1においても大いに発揮され、数々の記録を残した。1991年8月に亡くなったが、本田宗一郎氏のレースにかけてきたその意志はその後も社内に十分に受け継がれてきた。

 

1への挑戦は、第一期(19641968)、第二期(19831992)、第三期(20002008)と、3回に分かれる。1965年にメキシコGPで記念すべき1勝目を上げ、2006年のハンガリーGPが最後の優勝であった。出走341回(エンジン供給での参加含む)。内、優勝72回。その中で、今でも史上最速のドライバーと言われているアイルトン・セナ(19945月没)は32勝を上げている。ホンダとセナは、F1界の活性化に大きく貢献し、また日本のF1人気を引き上げた貴重なコンビであると言える。ホンダ+セナに関する記憶を、個人的に3つ上げたい。

 

①思い出深い記録・・・1987年イギリスGP。ホンダ1位~4位独占。(この時期、2チーム計4台にエンジン供給していた。この時、セナ3位。)もう一つ、1988年、ホンダは16戦中15勝と圧倒的な強さ。(この年、セナ初のチャンピオン獲得。)

②思い出深いレース・・・1992年モナコGP。セナとマンセルの歴史的名勝負。ラスト7周の大バトル、セナ(ホンダ)大逆転勝利。

③思い出深い言葉・・・1988年に本田宗一郎氏がセナに語った一言。「来年もナンバー1のエンジンを作るよ。」

 

本田宗一郎氏個人についても少しふれたい。私は、ある本の中で本田氏がこう言っていたのを覚えている。「時間を守ることは何より大切なことだ。」「時間を守ることは相手の命を守ることだ。」「絶対に同条件でもらえないものは時間である。」本田氏の人生哲学の中に「時間」というものが非常に重要な位置を占めていたことが伺える。時間にこだわるからこそ、時間を競うレースに人一倍興味を持ち、情熱を注いだのかもしれない。

 

残念ながらホンダはF1から撤退するが、日本が誇る世界のHONDAとして、今後も魅力的な車(マシン)を作っていってほしいものである。・・・つづく。

 

 

  ※今回分から文字が大きくなり見やすくなりました。

 

 

 

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